2008-09-01から1ヶ月間の記事一覧

お知らせ 20080922

第2回知半アートプロジェクト、メールによる先行予約受付を開始しました。

第2回知半アートプロジェクト・先行予約受付開始

本日より、全4回公演のメールによる予約受付を開始いたします。 下記の項目をご記入の上、宛先までメールをお送り下さい。予約メールの宛先:chihan.project@gmail.com 件 名 :第2回知半アートプロジェクト予約 本 文 :・お名前(複数の場合は代表者名)…

お知らせ 20080922

Roko Kawai(ロコ・カワイ)、Leah Stein(リア・スタイン)のビデオ映像をアップしました(英語)。

Leah Stein(リア・スタイン), 20071019

Leah Stein(リア・スタイン)が、サイトスペシフィックについて語ります(英語)。 撮影:2007年10月19日、知半庵 © IWASA Eiichiro, Chihan Art Project

Roko Kawai(ロコ・カワイ), 20071019

Roko Kawai(ロコ・カワイ)が、知半庵とのかかわりについて語ります(英語)。 撮影:2007年10月19日、知半庵 © IWASA Eiichiro, Chihan Art Project

お知らせ 20080921

皆さまに「知半アートプロジェクト」をよりご理解いただけるようにブログを開設いたしました。よろしくお願いします。あわや、いわさ、とき、なかがわ 記

第2回知半アートプロジェクト

サイト・スペシフィック パーフォーマンス(場所限定の現代舞踊) 「IZU HOUSE:伊豆の家」全4回公演(各回30名様)11月1日(土) (A) 午後1時開演(いずれも30分前に開場) (B) 午後4時開演 11月2日(日) (C) 午後1時開演 (D) 午後4時開演…

サイトスペシフィック

サイト(site)とは英語で場所を意味し、スペシフィック(specific)とは具体的な、という意味で、両方合わせて、ある場所や現場に限定したという意味になります。 ダンスなどの舞台芸術も、ホールや会館での舞台に乗せるのではなく、ある場所、その現場で作…

作品「IZU HOUSE:伊豆の家」

「サイト・スペシフィック」と呼ばれる、現場で制作する芸術作品として、Roko Kawai(ロコ・カワイ)、Leah Stein(リア・スタイン)らが去年の秋20日間に渡り、「知半庵」に逗留し制作した作品。 本作品は、「知半庵」の歴史、数々の家族エピソードを盛り込…

Toshi Makihara(牧原トシ、パーカッショニスト)

千葉生まれ、中学から打楽器を始め、ジャズのパーカッショニスト豊住芳三郎に師事。 1978年に渡米、ニューヨークでJoel Thomeに打楽器、作曲を学んだ後、即興演奏を開始し、古典や現代の舞踏家、詩人とコラボレーションをしている。 ゲーリー・ハッセイとウ…

きむらみか(声楽奏者)

演劇を出発点に「言葉」と「声」を学ぶという志を持ち、東京藝術大学声楽科に入学。イタリア歌曲を基盤に、日本の長唄、謡など領域を広げ、新進作曲家の実験的な声楽作品に多く関わる。 卒業後は、アメリカ、ヨーロッパ、アジアの各地の音楽祭や大学で演奏活…

新井英夫(体奏家、ダンスアーティスト)

落語、演劇に親しみ、大学では民俗学調査を行い、一貫して「暮らし」から学ぶアートを心がける。野口体操の創始者、野口三千三氏から10年間学び、その「力を抜いたからだ観」から深い影響を受ける。 1987〜96年まで綜合的身体表現グループ「電気曲馬団」主宰…

Leah Stein(リア・スタイン、現代舞踊家&リア・スタイン・ダンスカンパニー主宰)

サイト・スペシフィックの女王(Queen of site specific )と呼ばれる現代舞踊家、振付家。リア・スタイン・ダンスカンパニーを主宰する芸術監督として、常に新しいアート・シーンを創造するフィラデルフィアのダンス界の顔。 近年は環境や自然の力と動きの…

Roko Kawai(ロコ・カワイ、現代舞踊家&振付家)

東京生まれ。心臓外科医の父と共に4歳で渡米。大学では美術を専攻するが、幼い時から習い親しんだフィギアスケートを土台として、インド舞踊、日舞の訓練も受け、卒業後、世界的なタブラ奏者、ザキア・フセインとの共演をきっかけに現代舞踏家として独立。日…

庵主 あわやのぶこ

伊豆の菅沼屋敷「知半庵」の奥座敷で生まれる。 大学時代にRI奨学金を得て、南メソジスト大学に留学。帰国後、通訳をへて雑誌記者となり、1979〜86年、ジャーナリスト・ビザで再渡米。The International Examiner紙、国連協会のスタッフとして活動。在米中、…

知半庵周辺

「知半庵」は、ペリー総督や米国総領事ハリスも上京の際に通行した旧下田街道ぞいに建つ。近くには画家の梅原龍三郎が富士を描いた大仁ホテル、南へ少し足を伸ばせば夏目漱石、太宰治、川端康成、市川吉右衛門の定宿があった修善寺の町があります。

知半庵とは

「知半庵」は、もとは菅沼屋敷の坪庭の名前です。名づけ親は庵主の祖父である菅沼謹吾です。 「知半」とは、「半ばを知るのがよろしい」という意味で、菅沼知半が作りだした言葉。「極端に生きるのではなく、ないしは極端に生きたとしても、ほどよい頃合を見…

知半庵では

「知半庵」は450年ほど続いた伊豆の庄屋「菅沼」の屋敷で、平成初期まで菅沼家の人々が住み続けてきました。六つ間取りと呼ばれる建築構造を持ち、神棚には鯉の水差しが置かれるなど、江戸時代の伊豆の建築様式が偲ばれる民家で、裏庭には孟宗の竹やぶや、一…

知半アートプロジェクト概要

「知半アートプロジェクト」とは江戸時代の古民家「知半庵」を場として行うアートプロジェクト。絵画、彫刻、写真、音楽、ダンスなどに特化限定せず、自由なジャンルの芸術プロジェクト。 知半プロジェクトの経緯とこれから 菅沼家の長女、粟屋ひで代(旧姓…

庵主あいさつ

伊豆にある古民家「知半庵」は江戸時代の文化5年に建てられた庄屋の家で、今年2008年(平成20年)で築二百年を迎えました。この記念すべき年に「知半庵」を現代アートの実験場として、公に開くことになりました。 これが「知半アートプロジェクト」です。 ©…