知半庵とは

「知半庵」は、もとは菅沼の屋敷の坪庭の名前で、名づけ親は庵主の祖父である菅沼謹吾です。
「知半」とは、「半ばを知るのがよろしい」という意味で、菅沼知半が作りだした言葉です。「極端に生きるのではなく、ないしは極端に生きたとしても、ほどよい頃合を見つけるのが人生にとっての本当の幸せというものである」と。
菅沼知半は自らの雅号を「知半」と称し、「知半庵」で句を詠み、句会を開き、絵筆を取り、花を生け、狩を楽しみ、毎日かかさず、程よく酒を呑んでいました。
新しもの好きであった知半は、いち早く裏庭にコートを作り、袴を履いてテニスをしました。その遊び心と自由な雰囲気を、今もこの家は受け継ぎ持ち続けています。
あわやのぶこが「知半庵」を継ぐ際、庭のみならず、それを家自体の呼称とし、2012年には国の有形文化財として登録されました。正式名称は「 旧菅沼家住宅:知半庵 」です。
なお、玄関に掲げられた「知半庵」の表札は、菅沼知半をよく知る長女・粟屋ひで代(旧姓:菅沼)の夫、粟屋勝輔が彫ったものです。

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